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映画監督 牛原 陽一の作品、活動

映画監督 牛原 陽一(1924年~1977年)

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誕生~第二次世界大戦~慶應義塾大学へ



大正13年(1924年)、父、虚彦、母、千代子の長男として京都府にて生まれる。

関東大震災で罹災した虚彦・千代子の2人は、横浜より救難船・米国船籍ウェスト・オロワ号に乗り神戸へ。その後、京都へ移り、陽一が誕生。

慶応義塾幼稚舎入学後、普通部、経済学部と進学。戦局が悪くなる中、海軍航空隊を志願し、慶應義塾大学を仮卒業し海軍経理学校へ入学。海軍少尉任官と同時に舞鶴海軍施設部配属。
終戦後、復員、慶應義塾大学に復学し卒業。

映画界へ。田坂具隆監督のもとから。その活動と作品群



昭和22年(1947年) 大映東京撮影所助監督部入社

昭和29年(1954年)日活へ。田坂具隆監督に師事。同監督作品「乳母車」(昭和31年)、「今日のいのち」(昭和32年)、「陽のあたる坂道」(昭和33年)などで助監督を務めた後、監督昇進

昭和33年(1958年) 第一回監督作品「野郎と黄金」(長門裕之主演)

昭和33年(1958年) 「夜の狼」(葉山良二主演)

昭和34年(1959年)「実いまだ青し」(川地民雄主演)

昭和34年(1959年)「山と谷と雲と」(石原裕次郎主演)

昭和34年(1959年)「男なら夢を見ろ」(石原裕次郎主演)

昭和35年(1960年)「鉄火場の風」(石原裕次郎主演)

昭和35年(1960年)「邪魔者は消せ」(赤木圭一郎主演)

昭和35年(1960年)「天下を取る」(石原裕次郎主演)
 ★ 1960年 年間配給収入(興行収入)日本映画部門 第一位 (3億2392万円)

昭和35年(1960年)「一匹狼」(小高雄二主演)

昭和35年(1960年)「英雄候補生」(和田浩治主演)

昭和36年(1961年)「紅の拳銃」(赤木圭一郎主演)

昭和36年(1961年)「闇に流れる口笛」(和田浩治主演)

昭和36年(1961年)「堂々たる人生」(石原裕次郎主演)

昭和37年(1962年)「黒いダイス」(二谷英明主演)

昭和37年(1962年)「太陽と星」(二谷英明主演)

昭和37年(1962年)「渡り鳥故郷へ帰る」(小林旭主演)

昭和37年(1962年)「激しい河」(高橋英樹主演)

昭和38年(1963年)「空の下遠い夢」(和田浩治主演)

昭和38年(1963年)「赤い靴とろくでなし」(宍戸錠主演)

昭和38年(1963年)「アリバイ」(二谷英明主演)

昭和38年(1963年)「地獄の祭典」(宍戸錠主演)

昭和39年(1964年)「さすらいの賭博師」(小林旭主演)

昭和40年(1965年)「投げたダイスが明日を呼ぶ」(小林旭主演)

昭和40年(1965年)「三匹の野良犬」(小林旭主演)。
これが日活最後の監督作品となる。
昭和33年(1958年)の第一回監督作品「野郎と黄金」より24本の日活作品を監督した

昭和41年(1966年) 日活を退社し、インタナショナル映画社へ。ジェトロなど海外版PR映画の製作に専心。
昭和43年(1968年) 「Great Buddha」がニューヨーク国際短編映画祭で銀賞授賞

●このページの写真は映画スチル担当カメラマンによる撮影


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プロフィール

牛原 陽彦(うしはら はるひこ)

Author:牛原 陽彦(うしはら はるひこ)
◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

父 牛原陽一(うしはら よういち、Youichi USHIHARA)監督が亡くなって33年、祖父 牛原虚彦(うしはら きよひこ、Kiyohiko USHIHARA)監督が亡くなって25年、多くの情報があふれる中、2人について正しく伝える媒体が少ないのが現状です。

私、牛原陽彦が、祖父、父より引き継いだ資料、書物、当時の新聞などをベースに、2人の仕事、活動を正しく記録すべく、当ブログを開きました。膨大な資料から、作品、活動を振り返ります

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