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「狂へる剣技」(大正10年/1921年 牛原虚彦) 無字幕映画の試み

「これは忘れられない映画ですね。その頃無字幕映画というのがヨーロッパやアメリカでできたのです。その主張は映画は視覚に訴えるべきもので文学的なタイトル(字幕)などは排除しろ、というものでした。全てを視覚効果で解決せよ、それが映画だ、という理論で一時流行したのです。その時、伊藤大輔先生が「いい脚本を書いたから牛原さん、ひとつやってみようじゃないか」、それで撮った映画です。

話はサーカスを舞台にしたもので、主人公は出刃打ちの娘(三村千代子)、これは身をさらして、体スレスレに出刃を打ちこまれる役どころですね。そして、いくら口説いても自分の意に従わぬこの娘を、手元が狂ったとみせて殺してしまおうとするのが団長(勝見庸太郎)です。そうやって娘を殺そうと努力をするのですが、投げる出刃、投げる出刃みんな正確に頭や首、腕スレスレに突き刺さっていくというものです。長年の修練は悪党の団長にもどうにもならない、修練で当たらないというわけです(笑)。
つまり、今度は刺さるか今度は刺さるか、という興味でつないでいった映画ですね、これは。忘れられないのは、伊藤先生の完結な描写です。その脚本でも残っていたら代表的な当時の無字幕シナリオですね」

「これは監督も大苦労でした。キャメラのアングルだとかで構成するより他ないのですから。娘の心理表現ですね。次は刺さるか、次は刺さるか、の。それを表すためには顔を入れたショットにするか、あるいは入れないほうがいいか、とか。恐怖感を高めるためにはどのようにカット・バックするか、などに大変苦労しました。
技術的なことではキャメラの小田浜太郎が腕を見せましたね。出刃を打ちこむところは、逆回転なんですね、引っこぬくんです。そうでないと、あんなに体スレスレには入りませんよ。まず出刃を体近くに刺しておいて、それに目に見えない黒い紐をつけて、パッと引きぬくんです。で、それを逆回転、リバース・モーションでやったわけです。刺しておいて引っこぬくといえばなんでもないようですが、紐が見えないように上手にライティングしないといけないでしょう。そういうところを小田浜太郎が実にうまく解消してくれました。その技術の上に成立した作品です」

このずっと後に、衣笠貞之助さんが無字幕映画「狂った一頁」(大正15年)を撮られていますが、牛原作品のほうがはるかに先駆的ということですね。

「牛原・伊藤と書いてください。伊藤さんの功績は大変大きいものでしたから。作品としては5巻で非常に短いものでしたけれどね」

東京での公開が神田明治会館となっていますが。

「無字幕映画ということで、映画ファンとか映画研究会の学生たちが騒いだのです。封切前に一度神田で上映して欲しいとの要求があり、松竹も宣伝になることですからフィルムを出し、そこに私や勝見、小田浜太郎らが出かけていって一席お話したりして封切をしたのです」

大正10年くらいに無字幕映画の試み、これは世界的にも早いというか、欧米での試みと殆ど同時代的反応ですね。弁士の語りを聞かせるために結果として無字幕に近い映画は多かったようですが・・・・・・

○月刊「イメージフォーラム」(株式会社タゲレオ出版)1985年1月号
「聞書き日本映画史」(聞き手/岩本憲児、佐伯知紀)「牛原虚彦インタビュー」より抜粋
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プロフィール

牛原 陽彦(うしはら はるひこ)

Author:牛原 陽彦(うしはら はるひこ)
◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

父 牛原陽一(うしはら よういち、Youichi USHIHARA)監督が亡くなって33年、祖父 牛原虚彦(うしはら きよひこ、Kiyohiko USHIHARA)監督が亡くなって25年、多くの情報があふれる中、2人について正しく伝える媒体が少ないのが現状です。

私、牛原陽彦が、祖父、父より引き継いだ資料、書物、当時の新聞などをベースに、2人の仕事、活動を正しく記録すべく、当ブログを開きました。膨大な資料から、作品、活動を振り返ります

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