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「彼と田園」(松竹蒲田/1928年)

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1926年の8か月間をハリウッドでの映画研究に費やし、中でもチャールズ・チャップリン氏の下への弟子入りが許可され映画「サーカス」の製作現場に入り、勉強をし、経験を積んだことは、その後の牛原虚彦の活動に大きな影響を与えた。

1920年代後半は、前半にも増してその映画製作が多忙を極めたが、中でも松竹キネマ研究所時代からの盟友ともいえる俳優 鈴木傳明さんとのコンビネーションは、明朗快活、モダンといった表現がぴたりとあてはまる、これまでの日本映画にはない作風を牛原映画にもたらした。

最初のコンビは「恋の選手」(1925年)。その後「恋の栄冠」、ハリウッドにおいて試写会を開いた「象牙の塔」、「潜水王」と続くが、その後、鈴木傳明さんの相手役として田中絹代さんを抜擢したのは、チャールズ・ファレル、ジャネット・ゲイナーのコンビネーションから思いついたと、のちに牛原本人が語っている。


1926年8月の帰国後すぐにとりかかったのは 菊池寛原作・栗島すみ子・鈴木伝明主演の「受難華」(1926年12月公開)。帰朝第一作とポスターに大書きされ、空前のヒット。映画館に入りきれない人が出たという記録がある。

その後、鈴木傳明さん主演作が目白押しとなるが、1928年「近代武者修行」、「感激時代」、「彼と田園」、「彼と人生」、1929年「大都会労働篇」、「山の凱歌」、1930年「進軍」(松竹創立10周年記念映画)、「若者よなぜ泣くか」では、傳明・絹代・虚彦映画という言葉が生まれたように、このトリオでの映画製作が松竹蒲田の一角を担い、松竹蒲田のドル箱となってゆく。
この傳明・虚彦映画とタイトルにも記され公開されていった映画、また傳明・絹代・虚彦トリオといわれた映画の成功について、牛原虚彦は次のようにも話している。

「・・・これらの映画の特色は、優れた助演者グループに恵まれたことであった。星光、斎藤達雄、小林十九二、関時男、横尾泥海男、吉谷久雄、坂本武などという一騎当千の異色ある俳優が、華々しくその才能を競い合ったものである。この競合は、映画の上だけでなく、その日常生活にまで延長して、彼らの生活は、どこまでが芝居で、どこからがほんとうのことか、またくうかがい知ることのできぬ愉快さであった・・・・。ロケーション先で雨でも降ろうものなら、彼らはすぐに宿で芝居を始めた・・・」

写真は先日手に入れることができたB5サイズのフライヤー。

「彼と田園」 (松竹蒲田/1928年)
原作脚色:北村小松
撮   影:水谷文次郎
出   演:鈴木傳明 田中絹代 斎藤達雄 小林十九二 坂本武 小藤田正一

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プロフィール

牛原 陽彦(うしはら はるひこ)

Author:牛原 陽彦(うしはら はるひこ)
◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

父 牛原陽一(うしはら よういち、Youichi USHIHARA)監督が亡くなって33年、祖父 牛原虚彦(うしはら きよひこ、Kiyohiko USHIHARA)監督が亡くなって25年、多くの情報があふれる中、2人について正しく伝える媒体が少ないのが現状です。

私、牛原陽彦が、祖父、父より引き継いだ資料、書物、当時の新聞などをベースに、2人の仕事、活動を正しく記録すべく、当ブログを開きました。膨大な資料から、作品、活動を振り返ります

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