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「虚彦」 という名の由来

本名は「清彦(きよひこ)」 しかし、映画その他著作物などでは「虚彦」と自ら記していた。
その理由を自著「虚彦映画譜50年」(鏡浦書房刊)で以下のように書いている。

「文学少年時代を思えば、私には終生忘れることのできぬ親友がある。それは済々黌から第五高等学校まで同級であった大薮光忠君である。大薮君は菊池郡黒石の農家の生まれ、熊本市長で、前衆議院議員、農林政務次官の石坂さん、森林開発公団の理事長をしている石坂弘さんご兄弟のお宅の隣家が大薮家であった。

大薮君と私は済々黌に入って初めて知り合ったのであるが、ゆたかな文才に恵まれた人、たがいに文学を語りあっているうちに無二の親友となってしまった。大薮君と私はあるときは坪井川に舟をうかべ、黒石原を逍遥し、小萩山から成堂寺にかけて山を歩きながら情熱的に文学を語り合った。三間町裏の大薮君の下宿に幾夜、夜を徹して語り合ったことか。

志を同じうする二人は済々黌を卒業すると第五高等学校第一部乙類に入学することができ、ますます親しさをましていった」(中略)

(しかし、残念なことに大薮さんは、若くしてお亡くなりになってしまった)

「そして私が東大に入った年、熊本で大薮君は不幸にして、その若い生涯の幕を閉じてしまった。東京から帰った私は、泣きながら大薮君の霊に誓ったのである。光忠君、僕がきっと君と二人前の仕事をするよ。君がいつも書いた僕の名でね。

済々黌時代から大薮君は私の名を「虚彦学兄」と書くのが常だった。私の本名は清彦である。わたしはいまでも、あなたの名はなんと読むのですか、と聞かれて返答に窮することがあるし、きよひこ、と読むのですと答えると、ああ、高浜虚子先生の清流(きよしりゅう)なんですな、などといわれて困ることがある。

私は大薮君が、どんな理由で私のことを虚彦と表現したのか、永久にその理由を知る機会を失ってしまった。(中略)ただ、私が大薮君の霊前に誓いをたてて以来、海外への旅券にまで、うっかり牛原虚彦と署名してしまって出国許可を受け取るとき注意を受けたくらいで、虚彦の名前がすっかり身についてしまった。清彦の名を与えてくれた父にはまことに申訳ないことだが、今となっては、どうにもしかたのないことである」
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プロフィール

牛原 陽彦(うしはら はるひこ)

Author:牛原 陽彦(うしはら はるひこ)
◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

父 牛原陽一(うしはら よういち、Youichi USHIHARA)監督が亡くなって33年、祖父 牛原虚彦(うしはら きよひこ、Kiyohiko USHIHARA)監督が亡くなって25年、多くの情報があふれる中、2人について正しく伝える媒体が少ないのが現状です。

私、牛原陽彦が、祖父、父より引き継いだ資料、書物、当時の新聞などをベースに、2人の仕事、活動を正しく記録すべく、当ブログを開きました。膨大な資料から、作品、活動を振り返ります

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